明治時代の熊本を知る、ガイドブック「明治の熊本」

一見、西南戦争は薩摩軍と政府軍との闘いのようですが、熊本や宮崎からも薩摩軍と呼応し て立ち上がった士族隊がいました。熊本では時習館の学校党を中心に1,300名が健軍神社から 出陣、宮崎4兄弟の長男宮崎八郎率いる協同隊400名、その他人吉隊などが参加しました。県 北から県南まで菊池、山鹿、阿蘇、御船、矢部(山都)、八代、人吉と熊本県内の多くが戦場とな り、大きな戦災を受けました。  そして、開戦から7か月。政府軍死者約6,900人、薩摩軍死者約6,800人にのぼる最大の士 族反乱はこうして終わりをむかえます。 県内中が戦地となった熊本 加速していく時代の流れ  西南戦争に際しておびただしい死傷者のうち、政府軍側の負傷者は軍病院に収容されて手当てを うけます。しかし、薩摩軍側の死傷者は山野に放置されたままで、その惨状は目を覆うばかりでした。 元老院議官であった佐野常民らは暴徒といえども天皇の赤子であることには変わりないと政府に請 願書を提出し、この年政府軍兵士も薩摩軍兵士も平等に治療する博愛社を創設しました。これがのち の日本赤十字社です。 小話 其 の 六 博愛社~日本で初めてできた赤十字 西南戦争を映像・音・振動・ジオラマで紹介。戦いの様子 をリアルに再現した体感展示や、実際に使われた銃や 弾、古文書等の貴重な資料の展示など、西南戦争に至 る時代背景や意義について分かりやすく展示してあり ます。資料館がある田原坂公園には、激戦の跡が生々 しい弾痕の残る家(復元)や慰霊塔が建っていて、現在 はツツジや桜の名所としても知られています。 ■ 熊本市北区植木町豊岡858-1 熊本市田原坂西南戦争資料館 関連スポット 関連スポット 雨は降る降る、 じんばはぬれる、 こすにこされぬ、 田原坂… 田原坂西南戦争資料館 田原坂公園 弾痕の家 田原坂公園 熊本に伝わる民謡「田原坂」。 その歌詞には、田原坂を必死 で攻める政府軍が、すさまじ い勢いの薩摩軍に押されて なかなか田原坂を越えられな い様子が歌われています。 熊本城 日本三名城のひとつ。加藤清正が約7年の歳月を かけて築城しました。実戦を想定した巨大要塞と して築城された城は、約270年経った西南戦争時 にその力を発揮します。52日間にも及ぶ籠城に耐 え、難攻不落の名城の真価を証明しました。現在は 熊本地震の影響で本丸内部には入れませんが、二 の丸広場や加藤神社などから天守閣や櫓等を見学 することができます。 (写真は2018年9月撮影) ■ 熊本市中央区本丸1-1 熊本城天守閣 熊本城戌亥櫓 熊本城西南戦争籠城 将校家族避難跡 西南の役 回顧之碑 薩摩軍防衛戦線最後の牙城。薩摩軍が死守した 吉次峠は、政府軍に「地獄峠」と恐れられた険し い場所でした。薩摩軍に参加した、熊本隊の一 番隊長・佐々友房(さっさともふさ)が、「君見ず や 吉次の険は城よりも険なり」と詠った詩が刻 まれた詩碑があります。  ■ 玉東町原倉2334-57 吉次峠 西郷隆盛ゆかりの場所。西郷の祖先、菊池氏 初代則隆(のりたか)の子である政隆(まさたか) が、菊池十八外城(きくちじゅうはちとじょう)の一 つである増永城一帯を治めていたとされていま す。石碑が建っていて、書は徳富蘇峰といわ れています。  ■ 菊池市七城町砂田地区 西郷南洲先生祖先発祥之地 (増永城跡地) 美少年像 みやざき はちろう さ の つねたみ ※1 ※1 ※2 ※2 ※1 新熊本市史 通史編 近代Ⅰ ※2 死者の数は記録・文献により様々です 13 12

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