明治時代の熊本を知る、ガイドブック「明治の熊本」

安政2(1855)年に、御船の豪商であった林田能 寛(はやしだよしひろ)が私財を投じて架橋。江戸 時代から明治時代初期まで、日向往還として人 馬の往来が多く見られました。西南戦争で政府軍 に追い詰められた薩摩軍はこの眼鏡橋と石畳を 通り、山都町へ向かいました。  ■ 御船町上野 政府軍から逃れた薩摩軍が矢部(山都町)に 入り、本営を置いた場所。西郷隆盛もここに 入り、薩摩軍の主力がここに集結しました。西 郷隆盛が宿泊したとされる母屋や庭がそのま ま今も残っています。西郷はここから人吉へ と移動します。  ■ 山都町浜町54 通潤酒造 八勢眼鏡橋と石畳 関連スポット 矢部(山都町)で新戦略を練った薩摩軍は人 吉へと入り、永国寺に本営が置かれました。境 内には西郷本営跡記念碑が残っています。幽 霊の掛け軸がある、幽霊寺としても有名です。 ■ 人吉市土手町5 永国寺 武家蔵(武家屋敷) 文化苑の中にある継承殿は、江戸中期の建物 で、西南戦争で薩摩軍人吉隊の宿舎になりまし た。柱には薩摩軍による刀傷が残っています。 ※通常文化苑内は撮影禁止ですが、フォトラリーの期間  のみ、拝観料(300円)お支払いの方は文化苑「外観」  の撮影ができます。  ■ 人吉市上青井町118 文化苑(国宝青井阿蘇神社) 相良藩の旧新宮家屋敷で、当時の姿のまま現 存している武家屋敷。その中にある御仮屋は、 西南戦争の折、西郷隆盛が宿舎として利用し ていたという歴史があります。屋敷の中には西 郷ゆかりの品々が展示されています。 ■ 人吉市土手町35  明治19(1886)年に発布された「中学校令」によって全国に5つの中等 学校が設置され、明治20(1887)年、熊本に第五高等中学校が設置されま した。そして、明治27(1894)年の「高等学校令公布」に伴い第五高等学 校と改称。通称五高と呼ばれ熊本の明治の教育をリードしました。  まず東京(一高)、京都(三高)ができ、次いで仙台(二高)、金沢(四高)、熊本 (五高)で、これらはナンバースクールと呼ばれエリート達が帝大へ進むために通 う超難関校でした。  第三代校長の嘉納治五郎は、講道館柔道の創始者であり、のちに東京師範 学校で熊本出身の金栗四三(後に日本マラソンの父と呼ばれる人物)と出会い 応援するなど、熊本にゆかりの深い校長でした。また嘉納校長の時に英語教師 としてやってきたラフカディオハーン(小泉八雲)は嘉納の影響を受け「柔術」と いうエッセイを書き欧米へ柔道のすばらしさを紹介しました。  ハーンの後にやってきた英語教師の夏目金之助(漱石)は、熊本で多くの俳句 を残し、またボート部の部長として江津湖へ頻繁に通ったそうです。  五高の卒業生では池田勇人(総理大臣)、佐藤栄作(総理大臣)、重光葵(外務大臣)、寺田 寅彦(物理学者)など後の日本を代表する多数の人々が青春時代を熊本で過ごしました。 旧制第五高等中学校が熊本に設立 復興は人づくりから 教育に熊本の未来を託す 夫レ教育ハ 建國ノ基礎ニシテ 師弟ノ和熟ハ 育英ノ大本タリ 急ピッチで動き出した復興 関連スポット 五高記念館(熊本大学) ※現在は熊本地震の影響で休館中 明治22(1889)年に建てられた旧第五高等中学 校本館。熊本大学構内に五高記念館として公開さ れています。 ■ 熊本市中央区黒髪2丁目40-1 や せ めがね ばし か のう じ ご ろう かなくり し そう こ いずみ や くも なつ め そうせき きん の すけ いけ だ はや と さ とう えい さく しげみつ まもる てら だ とらひこ 夏目漱石 15 14

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