明治時代の熊本を知る、ガイドブック「明治の熊本」

6代熊本藩主 細川重賢によって設立された 藩校「時習館」は今の熊本城二の丸広場に 置かれていました。藩の将来を担う人材育成 のために、身分の上下に関わらず家老の許 可があれば誰でも入学できた学校でした。 文武両道をうたい、多くの優秀な人達が集い ました。熊本地震によって、熊本城の多くの エリアが立入制限中ですが、二の丸広場はた くさんの人で賑わっています。 ■ 熊本市中央区二の丸2-1 横井小楠と、彼と親交のあった坂本龍馬、勝海 舟、松平春嶽、細川護久(ほそかわもりひさ)の 5人の銅像が維新の群像として建てられてい ます。熊本城が望める広場で、憩いの場として 親しまれています。台座の部分には、実学派の 改革を実現した6人のレリーフがはめ込まれて います。 ■ 熊本市中央区千葉城町1 勝海舟や坂本龍馬が大分・佐賀関から長崎へ と九州を横断した際に立ち寄ったとされる温 泉地。勝海舟の日記に記録が残ります。現在 も旅館やホテルが軒を連ね、観光地としても 人気のスポットです。 ■ 阿蘇市内牧 幕末には坂本龍馬が立ち寄り、西南戦争の際 には、政府軍も入浴したという歴史が残る温泉。 湯の鶴温泉で最も歴史がある温泉旅館「四浦 屋本店(ようらやほんてん)」が大改修し、 「Tojiya」として平成29(2017)年11月に リニューアルオープンしています。 ■ 熊本県水俣市湯出 横井小楠の旧居。小楠は家塾「四時軒」を開き、 多くの門弟を養成しました。坂本龍馬や「大日本 帝国憲法」の草案をつくった井上毅(いのうえ こわし)らも訪れています。隣には横井小楠記 念館があり、小楠に関する資料や小楠にゆかりの ある人々の書などが展示されています。 ※四時軒は熊本地震で全壊したため、復旧工事  予定。詳細は、熊本市文化振興課まで。 ■ 熊本市東区沼山津1-25-91 熊本市文化振興課 096-328-2039 横井小楠の遺髪が埋葬されています。遺髪 は、暗殺のとき刺客が小楠の首を取り持ち帰 ろうとしたのを警護の者が取り返し、門人の岩 倉俊貞(いわくらとしさだ)が熊本に持ち帰っ たという逸話が残っています。裃姿に刀を携え た横井小楠の銅像が建っていて、毎年2月15 日には墓前祭が行われています。 ■ 熊本市東区沼山津4-11 時習館跡 (熊本城二の丸広場) 小楠公園 四時軒(横井小楠記念館) ※現在休館中、12月から記念館のみ開館予定 横井小楠と維新群像 (高橋公園) 湯の鶴温泉 豊後街道「内牧温泉」  黒船来航。太平の眠りを覚まされた島 国日本で、幕末動乱の時代、右往左往す る世情で世界を見据えた男がいました。 彼がいなければ、明治の夜明けは違った 形になったかも知れません。 小話 其 の 壱 明治維新を描いた男、鬼才 横井小楠 文化 6年 文化13年 天保10年 天保14年 安政 2年 安政 5年 文久 2年 明治 元年 明治 2年 横井小楠誕生 横井小楠、時習館入学(小楠8歳) ※一説では文化15(1818)年に10歳で  入学したともいわれています。 江戸留学へ(小楠31歳) 私塾「小楠堂」開塾 沼山津へ移り住み、 自宅を ※ 「四時軒」と名付ける ※四季の眺めを楽しめることから  その名がつけられました。 越前藩主松平春獄に招かれ、福井へ 士道忘却事件 横井小楠が明治政府の参与となる 京都にて暗殺される(小楠61歳) 1809 1816 1839 1843 1855 1858 1862 1868 1869 横井小楠にまつわる主な出来事 横井小楠 関連スポット 関連スポット 世に恐れる人物が 2人いる。 1人が西郷隆盛、 もう1人が 横井小楠である。 勝 海舟 大義を四海に 布かんのみ ※ ※慶応2(1866)年、  米国へ留学する甥の  送別に送った詞の一説 ※こちらの年齢は「数え年」で表記しています。 5 4

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